自我と無我

ついさっきまで悩んでいた自意識について。息をするにも自分が出てきて、排除したら楽になるんだろうと思っていたから、何とかしようと瞑想で無我の状態になれないか模索したりした。分かったのは、意識している自分とは、欲や慢心まみれの自分と、それを評価するもう一人の自分がいるという事。評価は概ね否定や憎悪。そして、過去と未来は今からの想像であって、あるのは今の連続だけ。自分とは過去と未来で説明されるものだから、自分とは人間特有の想像の産物、錯覚であり、事実は量子や波動が反応し合って、神経伝達などがなされ、感情やあたかも私がここにいるという意識が生まれる。他人という意識もその反応の結果だろう。植物には自分という意識はないはずだ。で、結局自意識は消えない。消そうとするほど感情を揺さぶり大きくなって何事も立ち行かなくなる。人生詰みという感じだ。消そうとするのを諦めた方がいいようだ。それでポッと今の考えが生まれる。自分大好き。それを認めよう。多分伝導しやすい、神経伝達が行われやすい媒体なんだろう。自意識が離れないのなら、離れようとせず、思いっきり近くにいればいい。だって多分だけど、一般的に自分の事ばかりを考えるの域を超えてると思うんだよね。熱心になれるし、まだまだ追求し足りないし。何となく疲れが飛んだような気がする。否定するのって物凄く消耗するから。居場所ができたような、そんな感じ。明日にはどうなってるか分かんないけどね。