最近

全然更新していなかった。山籠もりというか、勉強してたつもりなんだけれど、見えたと思ったらすぐに闇が訪れて一体何をやっているのかさえ危うくなるような道程。合っているのか間違っているのかも分からない。全て無駄だったらと思うと恐ろしくなる。この闇を照らしてくれる光はどこにあるのだろう。人生って生きる中で少しずつ解明されていくかのようで実は何も分からないまま。答えのないものは嫌い。でも答えがあるのも同じくらい嫌い。答えのないものに答えを出す事、これが人生の醍醐味だとは思うけれど。いくら答えを導き出したとして、その答えが何の役にも立たなかったらそれは答えなのか?逆に答えが出なくても役に立つ事ってある気がする。グレーだらけの人生が嫌になって、生活用品や服や小物などは全てごくシンプルな物を選んでいる。無意識のうちに。今は食事より睡眠より、いや睡眠には負けてしまうけれど、勉強しなきゃって思う。スムーズには行かないけれど。向いている事と好きな事。好きな事が向いていなかったら続けるべきではないのだろうけど、向いていないと決断するのはすごく勇気のいる事だ。何を目安に判断するのだろう。何にしろ、人は大切。でもちょっと怖い。人間が大好きな人はこの世にいっぱいいるし、私も好きだ。でも全員って訳じゃない。それは、好みの問題と割り切っていいのかな。それとも、単に飢えた愛情を補給する為の相手としか見ていないという事になるのだろうか。好きだったら、自分が嫌われる事を考えたりしないよね?常に思う。嫌われたら生きていけないって。弱い自分。認めたくない自分。一人の方がマシだと思う事もある。人に感謝させてもらう事もいっぱいある。これもグレーか。対照的な二つの職場を行き来している。一方は上司の存在が気持ち悪いという話題で盛り上がる職場、一方は仕事はキビキビ、アイデアも豊富で、笑いもあり、気品のある職場。気温差で体調を崩すみたいに、「品」の高低差で人間不信になりそうになる。もちろん前者の職場だけでなくて心から良かったと思うのだけれど。どう優れているのかをはっきり知る事ができる環境はありがたいと思う。感謝で一杯だ。ストレスがあるとすれば実力不足。ただ一点。。。それに上品ぶろうとしてしまったけれど、前の職場での自分の立場は罵られるような仕事のできない自分だったのだから、人生はよく出来ていると思う。向いていない事はするものではない。その上嫌いな事だったら最悪だ。学ぶ事があるとすればそういう状況に遭いそうになった時にいち早く察知して逃げる事、逃げてもいいという事。あとはトラウマしか残っていない。強いて言えば病んでいる人の気持ちは割と分かるつもり。病んでいる人の気持ちに寄り添った所で、その人は救われるだろうか。甘えている自覚がない人だったら逆効果だろう。頑張りすぎている人だったら同情されたくないだろう。それでも話を聞く事が何かの助けになるだろうか。多分向いている事。イベントや店頭のポップやポスターを作る事。病んでいる人の話を聞く事(病識がある人)。向いていない事。リーダー。段取り、スピード重視の仕事。