引越しの日

子宮の声は綺麗な声も汚い声も発してくる。私は今まで汚い声を悪人の声として嫌っていた。ストレスが溜まるほど汚い声は大きくなっていくので、どんどん自分が嫌いになっていった。責めて責めて責めまくった、本気で。ここでは気の弱さが役立ったと言えるかもしれない。リスカは怖くてできなかった。ひたすら言葉の暴力。自分が憎くて堪らなかった。というより他人が。嫌悪感を抱くくらい嫌いな人が職場にいた。同じ空間にいると吐き気がした。今となってはその人のおかげでここまで来られたのだけれど。一生憎むのではなかろうか。何故だろう。少しの嫌いの積み重なりだろうか。私は何でも他人と比較して自分を貶める、あるいは優位に立とうとする癖がある。苦しいのだが止められない。言葉にするのが怖いのだが、私は仕事ができないと思う。要領が悪いし、差し迫った時間制限があると焦ってしまい、取りこぼしが多くて誰かに補ってもらっているか、余裕が全くない。他人に振る事ができない。伝達が上手くできないかもしれないという恐怖があるから。引き継いだ自分の仕事について評価されるのが嫌だから。次に何をすればよいか瞬時に判断できない。全てを完璧にやりたくて優先順位の低い事から最初にやりたがる。性格はこだわりが強い。なかなか心を許せない。結局ルーチンワークが少しできるのみ。創造的な仕事を好む。チームワークが苦手だ。自滅してしまう。事実はそれを示しているのに、仕事ができないと言われるのを非常に恐れている。その烙印だけは押されたくないというプライドなのか気の弱さなのか、どう対処したらよいか分からないまま、相談できる場所もないまま、トラウマとなってここまで来ている。思い当たるのは、幼い頃、成績が下がった通信簿を見せた時、母親にため息混じりにもう一切期待しないと言われた時のショックだ。成績が良くないと存在を否定されると思った。急に突き離されて孤独だった。悲しかった。寂しかった。傷付いた。希望を失った。私にとって仕事ができないという評価は存在を否定されるという事なのだろう。行動には理由がある。前の職場が嫌で堪らなかったのも、仕事ができないという烙印を押されるのが怖くて、アドバイスすら聞きたくなくて、悩みを誰にも相談できず、出口の見えない暗闇をグルグル回っていたのだ。この問題はどうしたら解決するのだろう。仕事ができないと思われる事は期待されているという事なんだよ。その事に感謝をしたらいいんじゃない。それで成長しようという努力を見せる事だよ。これは清く正しくあろうとする心の声かも。他人に自分の存在を否定する権利はない。自分はもう自分の存在を肯定して守る事ができるよね。一番はやりたい事を明確にする事。多分子宮はそう言っている。