マジか

自分大好きのブログにしようと思っていたのも束の間。本当に呆れてひっくり返るけど、今思ってる事を書きます。幸せになる方法は自分の事を考える時間を一秒でも減らす事です。何でここまで180°変わるかな、怒涛の展開。それだけなんです、人生は多分。これが諸行無常なんだと思います。

無常

忘れがちなのがこういう風に次々と浮かぶ考えは次の瞬間には変化しているという事。自分というものがイメージである以上当たり前なのかもしれない。それでも不安は感じたくない、何とか対処できる方法を見つけたい。コントロールしにくい不安は過去のトラウマに起因する、無意識下の内生の不安である。これを去る方法は恐らくないのではないだろうか。新たな不安を生み出さない、内生の不安に対する抵抗力を高めるという対処しかできないのだと思う。

更新

考えは刻一刻と変化していく。今考えが及んでいたのは自分というのは、過去や未来という想像から生み出される人間特有の実体のないイメージであり、例えば自然災害のように、何らかのアクシデントが刺激となり、喜びや悲しみ、怒りなどの感情と同時に、私はここにいるという意識が作られるためである。その感情はリアルタイムで生じたものもあるが、無意識化に潜んでいたものもある。自意識に悩む私は、感情の起伏をできるだけ少なくする必要があるが、無意識下に潜む感情はどう対処したらよいだろう。これがコントロールできないから恐ろしいのだ。それを訓練により、浮かんで来なくなるまで抑えずにいる事。そんな途方もない話なのか。アレルギー体質というのがあるが、私は自意識過剰体質だ。過去の感情がアレルゲンとなって一種のショック状態を引き起こす。西洋的治療だと症状を直接抑える。しかしこれはステロイドと一緒で抑えなければ延々繰り返す、根本治療ではない。東洋的治療だと、アレルゲンを排除したり、免疫力を高めたりする。感情の起伏をなるべく少なくして新たな自意識が生まれないようにし、痒みが出ても掻きむしらない事。胃腸を強くする事、睡眠を摂る事、十分な栄養を摂ること、温める事、運動する事。自意識への抵抗力って何だろう。自意識は細胞ではない。実在しない空想である。であれば、空想を健全化する。空想にとっていい栄養となるもの、芸術や音楽、新鮮なイメージの源。空想しているのはどこだろう。脳だろうか。脳の栄養、質の良い気、血、水を作り、巡らせる事が必要だ。

肩の荷

という事で、自分の側にずっといていい、もう離れようとしなくていい。失敗して傷ついたとしても、気の済むまで永遠に悩んでいていい。ゆっくりじっくりコトコト煮詰めればいい。すぐ答えを出さなくていい。変に前向きにならなくていい。ずっとずっと、今まで欲していた事。よかった。

自我と無我

ついさっきまで悩んでいた自意識について。息をするにも自分が出てきて、排除したら楽になるんだろうと思っていたから、何とかしようと瞑想で無我の状態になれないか模索したりした。分かったのは、意識している自分とは、欲や慢心まみれの自分と、それを評価するもう一人の自分がいるという事。評価は概ね否定や憎悪。そして、過去と未来は今からの想像であって、あるのは今の連続だけ。自分とは過去と未来で説明されるものだから、自分とは人間特有の想像の産物、錯覚であり、事実は量子や波動が反応し合って、神経伝達などがなされ、感情やあたかも私がここにいるという意識が生まれる。他人という意識もその反応の結果だろう。植物には自分という意識はないはずだ。で、結局自意識は消えない。消そうとするほど感情を揺さぶり大きくなって何事も立ち行かなくなる。人生詰みという感じだ。消そうとするのを諦めた方がいいようだ。それでポッと今の考えが生まれる。自分大好き。それを認めよう。多分伝導しやすい、神経伝達が行われやすい媒体なんだろう。自意識が離れないのなら、離れようとせず、思いっきり近くにいればいい。だって多分だけど、一般的に自分の事ばかりを考えるの域を超えてると思うんだよね。熱心になれるし、まだまだ追求し足りないし。何となく疲れが飛んだような気がする。否定するのって物凄く消耗するから。居場所ができたような、そんな感じ。明日にはどうなってるか分かんないけどね。

自分

自分が大好きでたまらない。その事にやっと気付いたので素直になろうと思います。世間では自分の事ばかり考えずに他人の為に動こう!みたいな風潮がある、とはいえみんな自分の事が一番だよねとも。でも私は興味がある度合いが半端じゃない。永遠に考えていられる。だって自分の考えほど面白いものはない。細胞が生まれては死んでいくみたいにどんどん新しい自分に変わっていてその都度考え方も更新していくから目が離せないし、外の世界にうんざりするよりよっぽど面白い。大好き。外の世界の事を考えるとどうしても不安が尽きなかったり、存在しているのが辛くなってしまう。だからいいんだもう、開き直ろう。よろしくお願いします。

茶碗の中の宇宙

黒樂茶碗を堪能。初めはピンと来なかったけれど、一通り眺めた後で初代長次郎の「大黒」に戻り舌を巻いていた。自然を再現する。名人芸とはそういうものであろうか。見ていると安心感を覚える。生き方を教えて頂く。生きる力は誰かに与えてもらうものではない、自分で創り出すものだ。そしてそれはどこかで目にした自然の一部のような。いつの間にか大切なものを捉える感性が失われている事に気付く。息を少し吹き返したようだ。